パイゾ・ブログ翻訳:父の日、おめでとう

 


コミュニティ・ブログ: 父の日、おめでとう

2021 年 6 月 10 日木曜日

今日のブログでは、我々のコミュニティの父親、あるいはそのような人々を祝う。あらゆる種類の父親を称えるとき、我々はまた、この日のためのそれぞれ違った感情や記憶を思い起こすことだろう。父の日が君にとって何を意味するにせよ、そして君が父との暮らしが困難であったとしても、私たちが感謝していることを知って欲しい。君が父親(または父親のような存在)であるか、父親を持っているか、父親の思い出を持っているかどうか、そしてそれらの経験があなたにとって何を意味するかにかかわらず、父親という存在は我々の全てを結び付けるものの1つなのだ…我々がどこにいても、いつであっても、誰であってもだ。


 父の日のブログ記事を書くように言われたとき、私はすぐに受け入れた。珍妙な魔法のアイテムや、巧妙なゲームの駄洒落という形で父の日の贈り物を思い付くのは比較的簡単だと知っていたからだ(自動的に折りたたまれる魔法のくつしたを欲しがらない父親はいるかな?)。5回の父の日(父になってから数えてきた)と、そして自分の父親について考えながら、数日間ゲームブログ向け父の日記事のアイデアを考えた結果、ジョークというものが安易な解決であることに気づいた。そこで5歳の息子への最初のRPGセッションを開催することで、深く意味のある何かを書くことができると考えたのだ…本当に。そして先週末、私は彼のためにゲームの計画を立てた。計画通りにはならなかったのだが。


私はこの企画を完遂させるために強いプレッシャーを感じていた。もちろん、ブログのために何か素晴らしいことを書きたかったというのもあるが、息子にとっても相応しい体験であるべきだと。結局のところ、ロールプレイングゲームというものは自分の人生に大きな影響を与えていると思っていた。兄と私は、ロールプレイングゲームのおかげで、大人になった今でも、少なからず親密な関係を保っている。私はロールプレイングゲームを通して私の配偶者と私の最愛の友人に出会えた。それらのゲームをプレイし、それについて書くということは、多くの困難な時期を乗り越える糧となった。私はテーブル・ゲームが他の無数のゲームに同様の影響を与えるのを見てきた。私は素晴らしい父であるために、息子のためにこの体験を確かなものにしなければならなかったのだ。


悩んだ。どうすれば期待に応えることができるだろう?ロールプレイングゲームと父性というものについて考えると、兄と私は、自分の父が私たちの生活の中で存在感を失い始めた頃に遊び始めたことを思い出した。この記憶は、私が自分自身にかけていたプレッシャーを増すだけであった。私が父親を最も必要としていた人生のある時期に、ロールプレイングゲームはその空白をある意味では埋めたのだ。ロールプレイングゲームは、コラボレーション、協力、創造性、回復力、思いやり、あるいはうんざりした感情の出口を提供した。(つまり、父親から学べることだ)

息子の初セッションを予定していた前日、夕食も終わり、寝る前に遊ぶ時間にはもう疲れてしまっていた。私はブログについて全く考えていなかったし、そして父性についての私の複雑な感情によって、ゲームの計画さえ立てられていなかった。私と息子が遊びに向かった時、私の人生で最もシュールな体験の 1 つが明らかになりました。息子は、彼のお気に入りのおもちゃの1つである磁気タイルを使用して、一緒に迷路を作りたいかどうか私に聞いた。もちろんだ、そう私は答えたが、やり方を教える必要があった。彼は基本的な間取り図を作成し、いくつかの壁を建てる。彼が各タイルの配置を注意深く検討し、特定の廊下の方向や入り口の場所について時々考えを変えたりするのをを私は見ていた。彼は道の 1 つを塞ぎ、そこに悪者が隠れていると教えてくれた。見つからないようにしてね、そうしないと悪者に捕まっちゃうよ。 彼はおもちゃの車を取りに向かい—迷路にそれを入れて見せた。彼は何人かの悪者を入れた.。彼はもう 1 つの車を迷路の最深部に置き、私がそれを救出しなければならないと言った。彼は私に別の車を与え、それが私だと言って、自分でそれを拾う。彼は私の「車」で迷路を通り抜け、交差点に到着し、我々がどちらに行くべきかを尋ねた。パパの番だよ。私たちは迷路を通り抜けました。私が声を大きくしすぎたところで、悪者が私を捕まえるために壁から飛び出した。悪者が自分の迷路で迷子になるまで、私は逃げて走り回った。よくやったねパパ、でも次回はもっと静かにしたほうがいいよ。私たちは悪者がに見つかる前に車を救出することができた—本当に危ないところだったが!

息子は自分自身を学ぶことなく、地図や秘密のドアなどを使って、気まぐれでRPGをプレイするように教えてくれました。彼は自分で思いついたストーリーを念頭に置いており、私たちは一緒にストーリーを語りました。彼は私が台無しになったときでさえ私に再試行するように教えてくれました。彼は私に交代でお互いに気を配るように教えてくれました。彼が私が悪者の車と戦うことを提案し、代わりに私たちが穏やかになれるかどうか尋ねたとき、彼は私が設定した境界を尊重しました。彼はそれは良い考えだと私に言い、私が創造的な解決策を見つけるのを助けました。

これは私たちが通常プレイしている方法とそれほど違いは無かったが、パスファインダーやスターファインダーのゲームのために座る事との不可解なる類似点に、私は驚いた。考えてみると、特に過去1年間、他の大人との接触が通常よりもはるかに制限されていた場合、息子が協調、思いやり、創造性などのすべてのことをどのようにして学んだのか正確には分からなかった。確かに、私からも少し学んだろうが、母親、友人、祖父母、教師、そして叔母や叔父からも学んだだろう。私が息子をベッドに連れて行ったとき、彼が「愛してるよパパ、パパは僕の親友だ」と言ったとき、私は息子のための模範となったが故に、彼が自発的に彼自身の感情を表現することを学んだのだという自信を持つことができた。他の事に責任は持てないが、ただ1つ、ロールプレイングゲームは、私が良き人を育てられる父親になるのに役立つのだ。そう確信した。もっとも、息子への最初の「本物のセッション」のためのアイデアはまだ思いついていないのだが。

しかし父の日にブログに何を書くべきか、それははっきりと思いついたよ。


執筆者について

マイク・キンメル(Mike Kimmel)。現パスファインダー協会デベロッパー。元教師。1版における協会シナリオの執筆もしており「Unseen Inclusion」「Kaava quarry」「Consortium compact」「Hao Jin Cataclysm」等を創る。

 

コメント

このブログの人気の投稿

Fear&Hunger2:TERMNA:日本語初心者ガイド(作品紹介&キャラクター編)